メ・チャン・タイ村 アカの人々2


中国・ビルマから迫害を逃れて

 

メ・チャン・タイ村の歴史は1981年に始まります。

中国雲南省シーサンパンナン、ビルマ(現在のミャンマー)からの7家族が新天地を求めてここに移ってきました。 

 7家族のリーダーだったというレーチュー・ジュパさんは、

メ・チャン・タイに来たときは7家族の「35人から50人くらいだったそうです。

その後、親類を呼んだり、知り合いを頼ってくる家族もいたりで、3年後には住民は20家族に増え、

現在では40家族、住民も二百数十人に増えています。

他の山岳の少数民族との結婚などで子供たちも増えて、

広場でニワトリや子供たちが走り回ったりしているのを見るのは、

子供の頃の故郷を思い出し、プリミティブな感情を刺激され心温まる景色でした。

芥子(ケシ)からコーヒーへーー

 

標高1392メートル、メ・チャン・タイ村の中心部にある集会所の一角には、

山岳少数民族の伝統的な建物のお洒落なカフェがあります。

南国タイとは思えない涼風に吹かれながら、

下界を眺めながら呑む手摘みのシングルオリジンのコーヒーを味わうのは最高の贅沢なのかもしれません。

 

でも、ここでコーヒーが生産できるまでは並々ならぬ努力が必要でした。

 

放浪の末、1981年にメ・チャン・タイに移り住んだアカの人々がまず手がけたのは芥子でした。

薬用にもなりますが、阿片やヘロインの原材料になり、

「手っ取り早く現金収入になるのは大きな魅力」(前出ジュパさん)だったからです。

40%は村人が使い、60%は売却していたそうです。

 

当初、少数民族の多くは市民権が与えられませんでした。

「タイ国民」ではないから公的医療や公的教育など社会保障も受けられず、

感染症や犯罪など社会不安の温床にもなりかねない存在として見られていました。

 

この転機となったのが、プミポン前国王の王室プロジェクトでした。

プミポン国王は行政が「ファイ人ではない」と排除していた少数民族の保護・支援に乗り出します。

その中で、力を注いだのがケシ栽培をやめさせ、それに代わる産業の育成でした。